能面打ちと心得(その2)

 能面を打っていると、古の作者がどのような気持ちで能面に向かっていたのか思い巡らすことがあります。特に能面創成期の頃の作者の事を考えます。なぜ彫刻に彩色に超越した力が出せたのか。何がそんな力を与えたのだろかと。

 能は亡者の魂を鎮め、生者のこころを慰める芸能です。そこに使われる能面には人間の根源的な苦悩とその救いの表情が存在します。そのような能面をどのような人々が作っていたのでしょうか。今に伝わる古作の作者は、多くは僧侶であったと言われています。彼らは、人の生老病死と直接関わりあい、生きることへの安らぎを与えていました。

能と仏教との関わりはよく分かりませんので詳しくは書きませんが、なぜ僧侶が能面を作ったのか分かるような気がします。それは生きている者へ慈悲の心の大切さを伝え、慈悲の心が生きるという苦しみを救うことに繋がるということを教えたかったのだろうと思うのです。人間を救いたいという強い思いと、人間を愛し見つめ続けた慈悲の眼が、あのような能面を打たせたのでしょう。

  このように古の作者は人間に対して真摯に向き合っていたに違いありません。今能面に向かう時、このことを昔以上に意識する必要があると感じています。単に表面的な表情を作るだけでなく、避けることができない悲哀が皆共通にあるということを、互いの慈悲が今必要であることを伝えてゆく責任があるように思えます。

人のこころを理解し、人を受容し、人に安らぎを与えられるような能面を作る能面打ちになりたいものです。