能面を作る時、私は特に大事にそして楽しみにしていることがあります。それは能面の内側に「祈り」が感じられるかということです。仏の微笑みであったり、力士像の凄みであったり、または少年像の溌剌とした表情であったりします。罪のある人間すべてを受け入れ、人間のすべての業を許してくれ、そして人間のすべての性(さが)を認めてくれる無限の広さといってもよいでしょう。
能面には美しさが必要だと考えていますが、さらに美しさに「祈り」が加わりそしてその「祈り」が美しさを包み込んだ時、はじめて能面に命が吹き込まれると思っています。「祈り」はノミの一打、彫刻刀のひと削り、筆のひと入れの重なり合いで現れてきます。その現れ方はその時の体調、力の入れ具合で千差万別です。上手になればそれらはほぼ一定していますが、それでも僅かながら揺らぎがあります。その揺らぎが私は楽しくてなりません。そしてその揺らぎがあるが故に「祈り」が生じてくるように思うのです。揺らぎの中で「祈り」を打ち込み、「祈り」が能面から現れきて、その「祈り」を眺めることが、私にとって最上の喜びになっています。
そしてできた能面が舞台で使われ、「祈り」に舞い手の「祈り」の型が加わって、観ている人たちにその「祈り」が伝わった時、能面を打つ者のこの上ない仕合わせとなります。
能面の材料は檜です。檜の四角い塊からノミや彫刻刀を使って表情を作ってゆきます。この彫刻の過程では、ノミを木槌で叩く音を聞き、木槌を叩く感触を味わい、檜の匂いを嗅ぎ、彫刻刀で削る音を感じ、そして出来上がってくる表情を眺めるなど様々な五感をフル活用します。そして、彫刻に集中することで、五感から入ってくる情報が制限され、要らぬノイズから解放されてゆきます。すると自分を苦しめていた悩みがスーと消えてゆくのを感じます。そして彫刻作業が終わって、我に帰ると心が軽くなっているのに気付きます。少し言い過ぎかも知れませんが、生きる活力が湧いてくるようです。
次に彩色に移りますと、目や口の墨入れ、眉の表情、色の濃淡/陰翳を付けるなど肌の表情を変えてゆくことで「祈り」を重ねてゆきます。彫刻の時よりも揺らぎが大きく影響して、「祈り」の方向が変わることがあります。この予想していなかった変化が怖くもありまた、反対にワクワクするところでもあります。予想もしていなかった「祈り」の表情が現れた時、新たな自分をそこに発見して、自分の可能性を喜びます。そしてその「祈り」の表情に自分自身が癒されることもあります。
以上のように能面をつくることには、多くの喜びや楽しみが潜んでいます。自分自身でその喜びや楽しみを自由に自在に取り出すことができ、また時には自分の心と向き合い、自分に癒されることも期待できます。