面打ちを地元の面打ちに習い始めて数年経った頃、自分の作品の限界を知りました。
製作の過程で、満足な作品が作れず、上達する見込みもないと感じていた折に、東京早稲田大学の演芸博物館で現代能面師の作品展があり、堀安右衞門師の作品と出逢ったのでした。
二十数年前のことです。
錚錚たる能面師の作品が一堂に並べられていました。何人かの名前は知っていたものの、
見るのは初めてでした。年代順に並んでいました。古い順に見ていったのですが、どれも特徴の感じられない作品が並んでいる中で、終わりの方だったか、まだ存命の能面師の作品が現れたのです。能面師 堀安右衞門師の作品でした。恥ずかしながら、その日まで堀先生の名前は知らなかったのですが、そこにふと目が止まりました。ただの写しではない、力強くてたわやかな作風でありました。これが掘安右衞門という能面師の作品との最初の出会いでした。
作品展から自宅に戻り、数日経ったある日、再び作品展の小冊子を覗くと、堀先生の作品だけが私の目に飛び込んできたのでした。堀先生の作品だけが脳裏に記憶されていたからであったのでしょう。面打ちを途中で止めるにしても、本物の能面師に会わないうちは、諦めがつかないという思いを強く感じ、堀先生の作品にもう一度会って、堀先生ご本人と話をしてみたいと強く思うようになったのです。室町の「能面」を作る能面師であるという予感があったのです。その予感は、後日確信へと変わっていきました。
様々な人伝てに堀先生の連絡先を探し出し、先生に連絡をとりました。
京都市内で教室をしているから、来て観てもよいという快い返事を頂き、稽古日に伺いました。教室には全国各地から能面教室を開いている能面打ちが集まっていました。恐縮しながら、暫く稽古の様子を眺めていました。堀先生が彫刻を指導している時の刀の運び方、指導の内容どれも端的で曖昧さがありませんでした。彩色の指導では、古びを乗せるのではなく幽玄を打ち込むという考え方が徹底されていたのです。言葉では表しきれない色、何とも
言えない奥深い雰囲気が幽玄だという堀先生の言葉には、本物の「能面」を作り出す凄みがありました。そのうち、面打ちを辞めるという考えはどこかに消え、食いるように見ていたのを覚えています。
教室が終わる頃、先生から教室の説明がありました。私は間髪を入れず、入門の意志を伝えると、堀先生は快く承諾してくれました。これが運命の一言であったのです。以来弟子として、今に至るまで教えを乞うています。
出会いは決められた運命のような気がします。掘先生の作品を見てからの全ての言動が、「能面」に向かう今の自分を作っています。今、ひとつ一つを思い返して見ると、運命の果実が転がっていることが分かります。どれを拾い、どれを捨てるか、その時の自分の感性が決めているとしか言いようがない気がします。どの果実を拾うか、常に感性を磨き続けなければ、縁は繋がりません。そして拾う果実はひとつでよいのです。『これ』と感じた出会いだけでよいのだと思います。