「能面」を作ることは、昔から伝わっている「能面」を写すことが第一です。創作面も新作能には必要になることもあり、「能面」を創作することもあります。ただ、創作も写しの何たるかを知った上での制作でなければなりません。創作面も「能面」の本質を外しては、長く将来に残るものにはならと考えています。
写しの上で、型を紙に写した型紙は非常に重要です。型紙の取り方によって写しの良し悪しが決まってしまうと言ってもいいでしょう。彫刻のポイントはどこにあるのか、守るべきポイントはどこにあるのか、確実に型紙に写しておかなければなりません。京都の堀教室では、まず師匠が作った型紙を、別の紙に写すことが最初の作業です。線の流れの意味、型紙に打ってある点の意味を把握しながら、別の紙に写してゆきます。この時点で、彫刻の肝がどこにあるのか理解しておかなければ、彫刻の写しはできません。しかし、彫刻は点と点、線と線が無数に集まった集合体です。これを有限の型紙で表現するのは所詮不可能です。しかも、型紙にはない部分の重要さは、型紙以上です。これは、やはりモデルとなる「能面」が手元になければ、見出すことはできません。型紙にはない、型紙と型紙の間の彫刻の流れ、動きは、モデルをよく観察することで分かってきます。しかし、モデルを見る力は、「能面」が舞台でどう使われるかを理解し、「能面」が人間の骨格と同じであることを知って、はじめて身につくものです。これらは、師匠の身振り、手振りそして少しの言葉から理解していきました。型紙を含め、それら師匠の教えを統合できてはじめて、彫刻の写しが完成します。幽玄の彩色を施せる土台ができるのです。
堀教室にあった型紙は、龍右衛門の「雪の小面」、増阿弥の「増女」、般若坊の「赤般若」、赤鶴の「獅子口」などどれもが本面であり、重美、重文指定の能面ばかりでありました。入門した当時から、これらの名品ばかりの写しに集中できたことは、幸いにして「能面」の本質を見極める力を早く手に入れることに繋がったと思っています。そして、師匠からはそれらの作者の「能面」への思いを伺い知ることができました。このように、力強さとたおやかさを兼ね備えた室町時代の名品から、能面彫刻の真髄を知ることになりました。
型の写しとして最初に目指したのは、「雪の小面」でした。女面として、最上でありました。どの点を取っても、作者の妙技が冴え渡っているのです。いくつ彫ったことでしょうか。できるまで楽しく耐えるしかありませんでした。気に入らない写しは、捨てずに取っておいたのでした。何が不満だったかを残しておくためです。それらは、今でも時々取り出し、その頃の手前を思い出しています。彫刻が漫然とならないためです。そして、若い頃の力強さを忘れないためでもあります。型の写しは、私をいつも初心に戻してくれます。